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【企画展】BO-JW.

ボー・ジェイ・ダブリュー

ニューの祭典

BO-JW.|New rite

お知らせ

「ニューの祭典」は2018年3月4日をもって全展示終了致しました。

​ご覧くださった方々ありがとうございました。

現在アーカイブ編集中…

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「ニューの祭典」

2017年3月~2018年3月

3331 CUBE shop&gallery/東京都千代田区外神田6丁目11-14-1F

【春/終了致しました】3/24~4/25

【夏/終了致しました】7/20~8/31

​【秋/終了致しました】11/2~12/4

【冬/終了致しました】2/17~3/4 

アーカイブ/Archive​

 

【冬/終了致しました】2/17~3/4 

ニューの祭典/冬

 

 あの日は今すぐ車がほしい、早々に帰りたい、この両手の荷物を消し去りたい、などを呪文のように繰り返しながらひたすらに歩いていた。寒い日だった。

 私の気持ちとは裏腹に横の県道は車がどんどん通過していく。いつもより若干疲労している以外はなんらかわりがない道のはずだった。けれどちょっと先の方で聞きなれない音が耳に入ってきた。無視するべきか否かで迷っている暇はなく、結局その場所で足が止まる。ガシャ、ン、ガシャと車に轢かれていたのは一畳ほどのべニア板だった。

 不協和音・野良べニア・車・道路そして近隣に対して何一つメリットがない状態。けれど私は機械のように、持ち帰り可と勝手に判断、両手の荷物を高速で自宅へ運ぶ、作業用手袋の準備、安全の確保、を経てベニヤ救助を成功させた。

軽く汚れを拭いて壁に立てかけ眺める。頭の中でじんわりとほぼ完成に近い“何か”が浮かんでは消えを繰り返す。何かを知るためには制作するしか選択肢はなかった。

 

 今作「夜もふけて光はその力を放つ」はあるイメージを元に制作を進めている。それが具体的になにであるのかは、ここには書かない。最終的にこれを元に新作を完成させニューの祭典はひとまず完結する予定だ。今作はエスキースでありオブジェでもある。

 そして展示棚の位置について。妙に高く、鑑賞するにはもどかしさを覚えるかもしれない。作品自体をもっと俯瞰できればわかりやすいのかもしれないが、わかりやすい作品とは一体なにか。そもそも寒中で轢かれていたべニアと店内の関係性はなにか。そんなあれこれを考えるのにはちょうど良い距離だと私は思っている。

 

 春夏秋冬をテーマに制作してきた「ニューの祭典」はとうとう最後の冬となった。しかし季節は確実に春になろうとしている今、ステートメントを書いている。

 加えて今作を語る上で2017年12月5日「ニューの祭典/秋」搬出の出来事をまず書いた訳だが、些細な過去を改めて掘り起こすことに個人的抵抗があるので何もかもが落ち着かない。

 本当にどうってことないことを一年かけてやってきた。それでもまだまだ考えることは山ほどあり制作も終わらない。どうかしている。

【秋/終了致しました】11/2~12/4

11月2日より「ニューの祭典/秋」を開催する。今作は春の棚に再び戻り、<拘束された夏><遮蔽された秋>をイメージし制作している。また夏の展示で絵の砂を生み出した「絵砂の木」が登場し冬支度をはじめた。

見立てとしての四季は佳境に入る。屏風は風をどうかわすのだろう。

 

絵砂の木のメモ書き

高さ30センチほどの木彫を2017年春から制作していた。特に急ぐこともない自由な制作のはずが、梅雨入りした頃、気に入らなくなってしまった。しかし、「制作で大切なことは眺めること」と、師の教えが頭をよぎる。無視はできない。見える所に置いて、手に取る、遠ざける、色を塗る、を繰り返した。

 着色し層になった木彫を鉄やすりで削ってみた。ガ、ガ、ガ、と鈍い音を聞きながら削りカス(絵の砂)を捨てずに紙に包んで道具箱に入れた。本来、削りカスはゴミだ。けれど大小さまざまな形や、削る日によって違うさまを見ていると、愛着が沸いた。

 砂遊びをするように山を作っては崩す。瓶いっぱいのそれが溜まった頃、放置した木彫の存在を絵の砂が越えた。生命の気配すらする。まずい傾向だ。けれどこうなってしまうと後戻りは出来ない。

「ニューの祭典/夏」では絵の砂を土とし、そこに拾い物の枯木を組み合わせて新たな彫刻の可能性を探す試みをした。

【夏/終了致しました】7/20~8/31

7月20日より「ニューの祭典/夏」を開催する。春に引き続き小さな展示ではあるが、前回と違い店内の棚に設置してある。すべて新作なのでじっくり見て頂ければ大変ありがたい。
 近くの椅子にこしかけ、飲食、談話しながら見るのもいい。何か気になる事があれば、ネット上の私に聞いてくれても構わない。

インスタレーションのような展示空間との対話ありきの制作作業と異なる今作において、後付けの補足をあえて行わないことで「ニューの祭典/夏」を完成とする。言いたいことがないわけがない。あるから作品を作っている。けれどアート界の時折垣間見る、独特の丁寧さに慣れることは、アートの本質を最終的には濁すのではないか。いや、もう霧がかった特殊な世界を見ているのかもしれない。
 などと、真摯に表現と向き合う一方、日常生活を送りながら無意味と意味の間を超反復し、形にならないものを懲りずに制作している。この真夏に作品を通じて考えごとをして頂けたら幸いである。

【春/終了致しました】3/24~4/25

この度、3331 CUBE shop&galleryにて企画展「ニューの祭典」を開催いたします。

ありふれた日常を執拗に観察することでアートになりえる「瞬間」をどうとらえ形にできるのか、をいつも考えている。

本展は、アート空間である3331 Arts Chiyodaとその周辺をあえて注視し「アートと新しさとは何か」について年間を通じ、ある種儀式的に構成していく。以前から「アート空間と日常」が気になっていた。しかしアート空間にはアートを見に行くわけだから日常など気にはしない。などと考えていた所、3331 CUBE shop&galleryの空きスペースの話をもらい、今回の長期展示を試みる運びとなった。と、言っても未知の部分が多い状態でこの企画に賛同してくれた担当S氏の理解力と寛大さに敬意を払いたい。

さて、春の展示では2016年に上野公園の花見会場や神田周辺で収集したゴミを素材に制作した「ネオ茶室/桜の間」「神田を転売する」よりオブジェを中心としたインスタレーションでスタートする。以降、夏/秋/冬と、季節の移り変わりと共に変化する「ニューの祭典」から新たな瞬間をお楽しみ頂けたら幸いである。

またBOX galleryでは「祝桜」その他販売も行っております。合わせてご覧ください。

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「/20170405」
ここに載せる文は今回の展示にあまり関係のないことが突然含まれる。相変わらず誤字脱字もあるだろうが、気づいたら直していく。あの棚で広がったことを一年かけて書く。そして圧倒的な次回作に繋げる。この文章の告知はない。読まれなくていいが、読む人のことはちゃんと気遣う。あの棚は考えるための棚だ。

         【ニューの祭典/BOOK制作中】

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